帰宅困難者への備蓄 都が条例化?=新聞報道 [雑談]
首都圏で大震災が発生すると、企業や学校から、大量の帰宅困難者が発生するのですが、こうした人は地元自治体の住民ではないために、食料や水の備蓄が全然足りないという読売新聞の記事を7日のブログに記しました。
http://foodstock.blog.so-net.ne.jp/2011-09-07
都も危機的な問題だと考えていたらしく、企業に対して備蓄を促す条例を制定する方向で検討しているようです。東京新聞にもありますが、
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2011092302000039.html
石原知事は、22日の定例会見で、東日本大震災に続いて、台風15号でも主要駅が混乱したことを踏まえて「企業も災害に備えての備蓄というか、ある程度用意しておくという、これは法律で決めるわけにいかないから、条例で促すという措置を取った方がいいんじゃないかと思う」と述べました。
発言はここで確認できます。
http://www.metro.tokyo.jp/GOVERNOR/KAIKEN/ASX/m20110922.ASX
日本の企業の多くは真面目ですから、義務ではなく「促す条例」であっても、頑張ってやると思います。
仮に都心の企業が従業員に3日間の備蓄を用意し、被災直後に帰宅を急がないような指示を行えば、初期の混乱はかなり抑えられると思われます。ぜひ実現して欲しいものです。
「パンデミック」ケース [第1章「なぜ2か月なのか」]
前回まで、首都直下地震を想定して備蓄期間を検討してきました。今回からは、もう一つの検討対象である「パンデミック」ケースについて考えたいと思います。
パンデミックとは、一般用語としては疫病の世界的大流行という意味ですが、多くの場合、致死率の高い(高病原性)鳥インフルエンザウィルスが人から人に爆発的に感染する事態を示す言葉として使われています。鳥インフルエンザの人から人への大流行が、人類を脅かす差し迫った危機として世界共通の認識となっているからです。
我が国政府も平成19年10月26日に「新型インフルエンザ対策に関する政府の対応について」を閣議決定しています。
平成17年11月に策定した「新型インフルエンザ対策行動計画」は、数度の改訂を経て、平成21年 2月17日に最新バージョンに差し替わっています。
なお、2009年春ごろから2010年にかけて世界的に大流行した豚由来の「新型インフルエンザ」(A/H1N1)は、今年4月から「通常の季節性インフルエンザ」の一つに”格下げ”されました。従って、このブログで扱う「新型インフルエンザ」には含まれません。
以下、政府(内閣府)による説明です。
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●新型インフルエンザとは?
新型インフルエンザは、毎年流行を繰り返してきたインフルエンザウイルスとはウイルスの抗原性が大きく異なる新型のウイルスが出現することにより、およそ10年から40年の周期で発生しています。ほとんどの人が新型のウイルスに対する免疫を獲得していないため、世界的な大流行(パンデミック)となる可能性があります。
病原性が高く感染力が強い新型インフルエンザの発生・流行は多数の国民の生命・健康に甚大な被害を及ぼすほか、全国的な社会・経済活動の縮小・停滞を招くことが危惧されており、国家の危機管理の問題として取り組む必要があります。
新型インフルエンザの発生・流行に備え、政府一体となった取り組みを進めており、国における対策はもちろんですが、自治体や企業、さらには国民一人一人が正しい知識を持ち、必要な準備を進め、実際に新型インフルエンザが発生した際に、適切に対応することが大切です。
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さて、最新版の「新型インフルエンザ対策行動計画」に記された被害は想像を絶するものがあります。
○罹患率 全人口の約25%
○医療機関受診患者数 1,300万人~2,500万人
○死亡者数17万人~64万人
○従業員の欠勤最大40%程度
首都直下型地震で想定されている死者が1万人規模なのに比べると、64万人というのはケタ違いの死者数です。日本人の4分の1がかかり、企業で働く4割が会社を休んじゃうのです。
専門家の中には、こんな程度じゃすまないと考える人もいます。
「行動計画」が
○感染拡大を可能な限り抑制し、健康被害を最小限にとどめる。
○社会・経済を破綻に至らせない。
ことを目標においているのも頷けます。
首都直下型地震の場合、本震の大きさや起きる季節、時間帯で被害の様相は一変します。
比較的小さいマグニチュードで、風の弱い、休日の深夜に起きるのと、想定外の大きなマグニチュードで、強風下、人々が会社や学校から帰宅したり、夜ご飯の準備を始める夕方に起きるのとでは、被害の大きさはかなり異なります。だから、国も自治体も、複数のシナリオを検討して、最大級の被害に備えようとしています。
しかし、パンデミックの被害想定に複数のシナリオはありません。世界的な流行が始まれば、ほどなく日本にも上陸し、感染者は爆発的に広がります。
しかも、パンデミックは、確実に起きるだろうと思われているのです。ifではなくwhenの世界だという人もいます。
そう考えると、地震よりも恐ろしいかも知れません。
ここでも、食料備蓄は生き残りのカギを握っています。どう対応すべきなのか、考えていきたいと思います。
米、小麦、大豆、石油 それぞれの備蓄量は? [雑談]
水道復旧までの辛抱 地震対応は1か月メドに [第1章「なぜ2か月なのか」]
前回のブログで詳細に見てきたように、国の想定に従えば、避難所生活者の数は水道の復旧状況に大きく左右されます。
中央防災会議のシミュレーションによると、1000人の避難者の自宅で水道供給が復活すれば、611人は避難所から、329人は疎開先など避難所以外の避難先から、自宅に戻ります。60人ほどはそのまま避難生活を続けます。
逆にいえば、断水が続いている限り、膨大な数の避難者が避難所で生活を続けます。
水がないと煮炊きが出来ず、風呂にも入れず、洗濯もできず、通常の生活は行えなくなります。だから、水不足=自宅の放棄となるわけです。
しかし、国が警告しているように、避難所にも、水や食料が十分あるとは限りません。特に被災当初には全然足りないと考えたほうがいいです。
もちろん、被災地に対し緊急物資の輸送が必死で行われるでしょうが、水や食料の供給量は急に増やせないので、避難者の数が多ければ多いほど、物資は行き渡らなくなります。
阪神・淡路大震災でも「発災当日の食糧は、1月下旬の1/5。安定するのは1月26日頃」(『あのとき避難所は 阪神・淡路大震災のリーダーたち』)でした。安定供給までに10日ほどかかっています。被災地域が広範囲に渡った東日本大震災では、1か月後でもなお、3割近い避難所で、十分な食料供給が得られていませんでした。
まして、両大震災の10倍をはるかに超える避難所生活者が生み出される首都直下地震では、多少の援助物資は砂漠に水をまくように消えてしまうと考えた方がいいと思います。「東京湾北部地震」で想定されている避難所生活者460万人はニュージーランドの人口と同じ。1か月後になお残っている270万人でさえ、モンゴルの人口と同じくらいなのですから。
であれば、最大の焦点は、水道の復旧時期です。東京都の想定を見てみます。
「東京湾北部地震・冬の夕方、風速6メートル」の場合の断水率は、
1 日後 34.8%
4 日後 7.0%
1 週間後 5.7%
1 か月後 0.0%
水道の復旧には30日かかることになっています。
ところが、同じ東京湾北部地震でも、千葉県の想定では、すでに見てきたように、水道の復旧に約71日間かかります。一方、神奈川県の想定では、10日で済みます。
なぜこんなに違うかというと、東京湾北部地震が与える影響が地域によって違うからです。
神奈川県の場合には、むしろ、全県域で震度6弱が見込まれる「南関東地震」の方が被害が大きく、水道の復旧は40日程度かかると想定されています。
こうしてみると、その地域で最大規模のダメージを与える地震が起きた場合、水道の復旧は「最低でも30日」はかかると考えておいたほうがよさそうです。
そこで、食料備蓄の合理的かつ効率的な水準を目指す当プロジェクトとしては、地震対応では、「水道が復旧する1か月間の備蓄」をメドにしたいと思います。ここまで持ちこたえれば、避難所生活を避けることができる可能性が高そうだからです。
もちろん、お金と自宅に余裕がある人は、もっと多い備蓄を持てばより安心と思います。筆者のように千葉市在住の場合、71日間も水道が出ないかも知れないのですから。あまり想像したくないですが、深刻な食料不足が仮に70日超の長期に及べば、想定よりも避難所人口は減っているかも知れませんが。
首都直下地震に対する検討はとりあえず今回で終わり。これからは、疫病の爆発的流行(パンデミック)ケースを検討していきます。
「孤立しても1か月は自力で乗り越えられる備えが必要」=読売新聞 [雑談]
本日の読売夕刊に興味深い記事がでていました。
宮城県石巻市の養護老人ホーム「万生園」は、東日本大震災の際にも混乱なく、被災後も平常時と変わらない生活を送ったのだそうです。その秘密は食料、燃料の十分な備蓄。
多くの高齢者施設が寒さや食料不足で苦しむ中で、万生園は「自家発電はもちろん、30キログラム入りの米が15袋、屋上の貯水タンクには計50トンの飲料水が常備されていた」。
入所者は約90人なので、一人約5キロの米です。小野さんという施設長さんは「非常時にはだれも助けてくれない。たとえ孤立しても1か月は自力で乗り越えられるだけの備えが必要だと考えていた」とコメントしています。
このほか、軽油、薪ストーブ用の薪、アルコールでお湯が沸かせる装置などが備えられていたのだそうです。
国が促進している「最低3日間」に準拠するのではなく、自分の頭で判断して「1か月」を備蓄しているところが、素晴らしいです。自己責任を貫くというのは、こういうことだと思います。
いま、気象庁で地震の際に津波の高さを予報するのをやめる検討を始めています。予想される高さを聞いて、「たいしたことはない」と安心して逃げなかった人が、逃げ遅れたケースが多数あったためです。
学者の中には、危険度の目安を教えると想定外のことが起きた時に対応できないからかえって危ない、という人もいます。国の「最低3日間」という家庭備蓄の目安も、「3日分で足りなくなった」場合のリスクを増幅しているのかも知れません。
避難所で予想される混乱・トラブル [第1章「なぜ2か月なのか」]
首都直下地震に被災した場合、仮に自宅に被害がなくても、水や食料の蓄えがなくなってしまえば、避難所に身を寄せるしかなくなります。
そこで、今回は、避難所の状況を予想してみます。
2005年7月の中央防災会議「首都直下地震対策専門調査会報告」からの引用です。
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東京湾北部地震において初日に約 700 万人(18 時,風速 15m/s)の避難者の発生が予測される。そのうち、避難所生活者は約 460 万人である。1 ヶ月後に断水人口が5%まで復旧した場合でも、約 270 万人の避難所生活者が残存するものと予測される。(一部省略しています)
これに伴って、以下のような問題が想定される。
[飲食料・生活必需物資の不足]
避難所生活者数が膨大なことから、家庭内備蓄や地元都県及び市区町村による公的な備蓄だけでは、必要量の確保が困難となる。
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被災の想定に「断水人口」が関係しているのは、自宅の水道が出るかどうかが、避難の判断に大きく影響しているためです。
中央防災会議が避難者数を推計する時に使う数式は以下のようなものです。
(被災翌日)
・避難人口=全壊・焼失人口+0.503×半壊人口+0.362×断水率×被害なし人口
阪神・淡路大震災の被災者に行ったアンケート調査の結果、被災の翌日に避難した人は全壊住宅で 100%、半壊住宅で 50.3%、軽微又は被害なし住宅で36.2%いたことから導き出された数式です。住宅に被害がなくても、水が出なければ、3割以上の人が翌日には避難してしまう想定になっています。
(被災4日後以降)
・避難人口=全壊・焼失人口+0.503×半壊人口+0.362×断水率×被害なし人口+0.91×(1−0.362)×断水率×被害なし人口
被災翌日の避難者数に「0.91×(1−0.362)×断水率×被害なし人口」を加算した式です。加算した部分が何を意味しているのかといえば、
「被災から4日後になると、断水にもかかわらず自宅で暮らしていた人のうちの91%が、避難を始める」ということです。阪神・淡路大震災後の都市住民の意識調査で、断水が続いた場合、被災から4日後で約 91%が「限界である」と回答していることを根拠にしています。
4日目以降の数式を展開、整理すると以下のようになります。
・避難人口=全壊・焼失人口+0.503×半壊人口+0.94258×断水率×被害なし人口
4日目以降で、全壊・焼失人口、半壊人口、被害なし人口が大きく変動するとは思えませんから、避難人口はもっぱら、断水率=水道の回復具合によって決まるということになります。
さて、国の想定では、水道の復旧が予想通りに進んだ場合でも、被災後1か月たっても、一都三県の避難所に270万人もが暮らしています。
東日本大震災や阪神・淡路大震災と比較して見ます。
避難所生活者の数 | 1か月後 |
---|---|
東日本大震災 | 147536 |
阪神・淡路大震災 | 209828 |
東京湾北部地震 | 2700000 |
文字通り、ケタ違いに多数の人たちが、避難所暮らしを余儀なくされるのです。
では、被災後の避難所はどんな様子なのでしょうか。内閣府のHPに紹介されている阪神・淡路大震災や東日本大震災のデータを拾ってみました。
<阪神・淡路大震災> (被災から72時間までの様子です)
◆神戸市内での救援物資配布状況によれば、発災当日の食糧は、1月下旬の1/5。安定するのは1月26日頃[松井豊・水田恵三・西川正之 編著『あのとき避難所は 阪神・淡路大震災のリーダーたち』ブレーン出版(1998/3),p.31]
◆地震が発生した1月17日から20日頃までの間は、避難者にとって食料、毛布とも不足気味であり、神戸市では食料、西宮市では毛布の配布数が少なかったことがわかる。このような状況に陥ったのは、十分な備蓄物資がなかったこと、義援物資の受け入れに忙殺され配布までに手が回らなかったこと、正確な避難所数や避難者数の把握が遅れたこと、物資配布のための輸送手段がなく、また、主要道路が極端に渋滞していたこと等々の要因が考えられる。[『阪神・淡路大震災調査報告書 −平成7年兵庫県南部地震東京都調査団−』東京都総務局災害対策部防災計画課(1995/7),p.259]
◆ (兵庫県立兵庫高校)夜、避難者一人につきパン1個を教職員が配布しようとしたが、全員に行き渡らない。配給時には混乱し、制止もままならない状況で、配給している教職員の胸ぐらをつかみ「もっともってこんかい」と怒りをぶつける避難者もいた。[『震災を生きて 記録 大震災から立ち上がる兵庫の教育』兵庫県教育委員会(1996/1),p.85]
◆ (神戸市長田区の蓮池小学校)午前七時に、おにぎり千食が用意されたが、あっという間になくなった。同八時にはカンパン千二百食が配布されたが、列を作った全員には行き渡らず「不公平だ。整理券を配れ:と職員の詰め寄る住民も。[毎日新聞夕刊『飲まず食わず 募る不安』(1995/1/18),p.-]
◆ (神戸市兵庫区・神戸市立兵庫大開小学校)19時半、兵庫区役所から、食パン6,000個と菓子パン3,000個が届いたので教職員が配布。避難者全員分(2,000∼3,000人)には足らず、騒然とする。そのとき、報道のカメラマンがフラッシュをたき、避難者に殴打される。[『震災を生きて 記録 大震災から立ち上がる兵庫の教育』兵庫県教育委員会(1996/1),p.120]
◆交通事情の混乱のために場所によっては大幅に物資の搬入が遅れ、避難所では当初大きな混乱が起きた。1000人以上の避難者がいたのにかかわらず、17日夜までに握り飯150個、リンゴ2箱しか届かず、不足しすぎているため翌朝まで配分できなかった例。18日になってパンなどが届き、民生委員や自治会役員等に世話を頼んで配分したが絶対数が足りないためにパニックになった例。17日夜、パンなどが届き、個数は十分あると判断して校庭に並んでもらったが列がいつまでも途切れず、最後には半分にしたがついになくなり、子どもが持っていたパンを大人が奪い取って行ったり、配給していた教職員が蹴られ危険な状態になったという例など、当初の食糧配給時に大混乱になったところが多い。[『震災を生きて 記録 大震災から立ち上がる兵庫の教育』兵庫県教育委員会(1996/1),p.71]
◆(被災地市民グループインタビュー結果)避難所でたこ焼きを焼いて無料で配ったことがあったが、数に限りがあるので並んでいる人だけに配布すると言っても、中にいる家族の分も求められ、トラブルになったことがあった。物資の配布を早い者勝ちにしたり、段ボールで区画を作ったりして、大規模の避難所では混乱していたところが多かったようだ。[(財)阪神・淡路大震災記念協会『平成11年度 防災関係情報収集・活用調査(阪神・淡路地域)報告書』(2000/3),p.15]
◆行政機関から、1人1枚ずつわたる数になるまでは配布しないよう指示があり、切望する避難者が目の前にいながら配分出来なかったという例。食糧についても同様の指示があり、置いたまま腐らせてしまったという報告もある。[『震災を生きて 記録 大震災から立ち上がる兵庫の教育』兵庫県教育委員会(1996/1),p.71]
◆ (伊丹市立池尻小学校)9時頃、市災対本部からパンと牛乳が届き、教職員が配布を始める。あせって前の人を押しのける人もおり、パニックになった。一人で二回並んだ人も多く、結果的に足りなくなった。この後、近くの量販店が開店していること、個人的な差し入れ等があることがわかり、混乱は少なくなってきた。[『災害と対応の記録ー阪神・淡路大震災ー』伊丹市(1997/3),p.107-108]
◆ (神戸市長田区・神戸市立志里池小学校)夜、区災対本部からコッペパンとゆで卵が届く。一人一個は到底行き渡らないので、元PTA会長等が中心になって数人でちぎって配布することにした。[神戸市教育委員会『阪神・淡路大震災 神戸の教育の再生と創造への歩み』(財)神戸市スポーツ教育公社(1996/1),p.140]
◆[引用] (芦屋市立宮川小学校)夕方、市災対本部から19時に弁当が届くという連絡があったが、実際には21時におにぎり1,000個が届いただけだった(避難者一人一個)。おにぎりは、運動場に設置したテントで配給し、病人(約30人)には、教職員と避難者有志が枕元に届けた。[『震災を生きて 記録 大震災から立ち上がる兵庫の教育』兵庫県教育委員会(1996/1),p.115]
◆[引用] (西宮市立安井小学校)夕方、初めておにぎりの差し入れ(490個)が届いた。しかし、避難者が1,000人を超えていたので、老人と子どものみに配布する。[渥美公秀・渡邊としえ「避難所の形成と展開」『阪神大震災研究1 大震災100日の軌跡』神戸新聞総合出版センター(1996/5),p.83]
◆ (神戸市東灘区・神戸市立福池小学校)12時、老人会会長が近所のスーパーからパンと牛乳等をもらってくる。牛乳は小分けして配ったが、全員には行き渡らない。[『震災を生きて 記録 大震災から立ち上がる兵庫の教育』兵庫県教育委員会(1996/1),p.58]
◆ (西宮市立大社小学校)15時、救援物資のおにぎりを避難者2人に1個、買い出ししてきたバナナを1人に1本配布する。[『震災を生きて 記録 大震災から立ち上がる兵庫の教育』兵庫県教育委員会(1996/1),p.58]
◆ (既存アンケート調査のまとめ) 明石市民の地震発生当日の行動を見ると、「食料品の確保」のため、多くの市民がスーパーや食料品店に殺到したため、品切れの店が続出した。[『平成10年度防災関係情報収集・活用調査(阪神・淡路地域) 報告書』国土庁防災局・(財)阪神・淡路大震災記念協会(1999/3),p.79]
◆(被災地市民グループインタビュー結果)当日朝9時30分頃に地域唯一の店舗に買い物に行くと長蛇の列ができていた。一人二点ということだったが、既に残っているのは調味料だけだった。...(中略)...2日目も店舗では2点ずつしか買えず、家族が増えた家が多い中でみんな大変だったが、「赤ちゃんがいる家庭を優先させよう。皆でゆずりあいましょう。」と大きな店舗の中で、何人かで叫んでお願いした。」[(財)阪神・淡路大震災記念協会『平成11年度 防災関係情報収集・活用調査(阪神・淡路地域)報告書』(2000/3),p.15]
次に東日本大震災の避難所を見てみます。国が実施したアンケート調査の一部です。
被災三県の避難所アンケート調査
単位% | 毎日、おにぎりやパンのみ | おにぎりやパンに、時々、おかずが加わる | おにぎりやパンに、時々、おかずや温かいもの加わる | 毎日、おにぎり、パン、おかずが出るほか、時々温かいもの加わる | 毎日、おにぎり、パン、おかず、温かいものを食べられる |
---|---|---|---|---|---|
4月6〜10日 | 0.3 | 1.9 | 22.3 | 15.5 | 60.1 |
4月13〜17日 | 0 | 1.6 | 11.7 | 16.3 |
70.4 |
4月20〜24日 | 0.2 | 0.4 | 10.8 | 16.2 | 72.4 |
5月9〜13日 | 0 | 0.4 | 8 | 15.5 | 76.1 |
被災は3月11日ですから、1か月後にも3割の避難所で、十分な食料が行き渡っていないことがわかります。このうち、1割強は、おにぎりやパンに「時々おかずや温かいものが加わる」程度の食事を続けています。
ここで、次のグラフを見てください。
黄色い棒グラフは、避難所生活者数です。赤い菱形の点は、自治体職員一人当たりの避難所生活者数です。自治体職員数は県、市町村すべてを単純合計しています。 もちろん、自治体職員全員が避難所のお世話をするわけではないのですが、ざっくりと規模感を比較したいと思います。
東日本大震災では、ピーク時で避難所生活者は45万人、自治体職員1人当たりで3人でした。 これに対し、「東京湾北部地震」では、ピーク時の避難所生活者数が460万人で、自治体職員1人当たりの人数は7人超。被災1か月後であってもなお、自治体職員一人当たり4人超の避難所生活者がいます。東日本大震災のピーク時よりも多いのです。
首都直下地震の避難所では、阪神・淡路大震災のような都市部に特有の混乱が、東日本大震災をはるかに上回る規模で起きると懸念されます。水と食料を自宅に確保しておく重要性を改めて指摘しておきたいと思います。
帰宅困難者の食料 一人0.7食分 備蓄全然足りない=読売新聞 [雑談]
7日の読売新聞夕刊に大変に興味深い記事が掲載されていました。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110907-OYT1T00638.htm(リンク切れありえます)
首都直下地震の際に大量に出る「帰宅困難者」のための非常食備蓄が大幅に不足していることがわかったという記事です。一部を引用します。
--東京都では、鉄道や幹線道路の復旧状況から、計約448万人の帰宅困難者を4日以内に解消する想定だが、都や区市町村の備蓄だけでは計約318万 食で、1人当たり「0・7食」分にしかならない計算だ。都では「民間の協力がなければ対応は困難」としており、各自治体も条例で企業に社員向けの非常食備 蓄を求めるなどの動きが出ている。
このブログでも紹介しましたが、首都直下地震の中でも最も恐ろしい「東京湾北部地震」が起きると、首都圏で
経産省の診立て 3〜7日?=日経新聞 [雑談]
「最低3日」が国の方針 [第1章「なぜ2か月なのか」]
前回まで、首都直下地震のうちでも最も恐れられている「東京湾北部地震」に関して国や東京都などが想定する被害を長々と見てきました。改めて物流面への影響を整理すると
1)被災直後は、大量の徒歩帰宅者や帰宅難民で道路があふれかえり、一部の幹線道路は通勤電車並みの混雑となる。
2)被災直後は、多くの生活道路が、火事や建物の倒壊により通れなくなる。一方で、都内の主要幹線道路は緊急車両を優先し、一般車両は通行止めになる。
3)各所で道路の橋梁や橋脚が損傷する。在来線の鉄道網にも大きな被害が出る。
4)高速道路、新幹線などの線路にかかる跨線橋が落ちたり、倒壊した建物が高速道路に落ちたりして、高速輸送の大動脈にもダメージが予想される。
5)港湾機能も相当程度いかれる。
という状況が起きます。被災した直後から一定期間は、首都圏には大量輸送ができなくなるのです。
問題は、「一定期間」の長さです。
国の中央防災会議が2005年9月にまとめた「首都直下地震対策大綱」には、ライフラインの復旧目標が記されています。このうち物流に関する部分は、
○道路
緊急輸送道路のうち、首都中枢機能の継続性確保のために特に重要な区間については、道路橋の被災、沿道建築物の倒れ込み、渋滞等による通行障害が発生しても、1 日以内に緊急車両等の通行機能を確保できるようにする。
○航空
1時間以内に被災状況の確認を行い、その後順次、応急復旧を実施した滑走路等により運用を開始する。
○港湾
ライフライン拠点施設に近接する緊急物資輸送に対応した岸壁等については1日以内に利用できるようにする。
となっています。
「道路」に関しては、「首都中枢機能の継続性確保のために特に重要な区間」がどこかに当たるかが不明です。首相官邸、国会、中央省庁、日銀、東京証券取引所等を含むエリアかなあ、と思います。いずれにしても、被災者が大量に出る住宅地ではなさそうです。
「港湾」についても、「ライフライン拠点施設に近接する緊急物資輸送に対応した岸壁」の具体的なイメージは書いてありません。 しかし、海岸沿いのライフライン拠点施設といえば、発電所や製油所が思い浮かびますので、原油や天然ガスの積み下ろしが想定されているのではないかと思います。少なくとも、一般の食料を対象とした岸壁ではなさそうです。
つまり、復旧目標は、国の中枢機能を維持するために定められているのであり、一般の被災者、住民の救済のために定められているのではないのです。
もちろん、国の中枢機能が維持できなければ、一般国民の救済や復興もできないわけですから、当然と言えば当然ですが、首都の被災は、他地域の被災とは異なり、優先順位が被災者救済より国家機能の維持に置かれていることを忘れてはいけないと思います。
では、「一般国民にとっての物流」が機能を回復する期間はどのくらいなのか。
残念ながら「大綱」には、見通しも目標も書いてありません。しかし、一般家庭の食料備蓄については、あっさりとですが、触れています。その部分を引用します。
「国、地方公共団体は、各家庭において最低限3日分の食料・飲料水及び生活必需品の備蓄を促進する」
なぜ「最低限3日」なのか根拠は示されていませんが、それ以降は徐々に物流が回復するという前提があるのは、間違いないでしょう。
しかし、「最低限」という言葉には、「本来それでは不十分」という含意があります。これは危機管理の問題なのですから、「最低限」だけではなく、「できれば望ましい」日数や「これならほぼ十分」な日数を示してもらわないと、備えることができません。命がかかっている問題について、「最低限」の水準だけを示されても、困ってしまいます。
筆者は、「3日間」の復旧は相当に難しいと考えています。これまでの被災想定を見れば、そう簡単ではないというのが実感ですし、以下のように、関係者自身が、3日間の復旧には確信が持てていないことがうかがえるからです。
この大綱の叩き台となった中央防災会議の「首都直下地震対策専門調査会報告案」には、「鉄道」に関する記述があります。次の通りです。
「被災の程度が小さい鉄道では、発生から1時間以内に被災状況の確認を行い、3日以内に順次運転を再開し、要員の輸送を支援する」
この部分は、「大綱」からはそっくり外されています。
「報告案」は「航空」に関しても、
「3日以内に、応急復旧を実施した滑走路等により順次運用を開始する」
と明記していました。この、「3日以内に」の部分も「大綱」からはすっかり消えています。
「大綱」で削られた部分は、要は運用当事者の立場から見て、実現する見通しや保証がないということだと思います。鉄道や空運が、3日以内に運用を開始するのは難しいと読むべきだと思います。
「備蓄は10日は必要」 専門家の声=毎日新聞 [雑談]
「中央省庁や日銀など首都中枢機関」への業務継続計画に関するアンケートでは、中央13省庁のうち8省が、地震発生後、一定時間に参集できる職員数を調べていないことを報じています。また、4省は緊急対応する職員の居住地を把握していなかったということです。記事は「具体的なシミュレーション不足が浮き彫りとなり、行政機能の継続性に大きな不安を残す結果になった」とまとめています。
「都内23区と武蔵野地区の6市」へのアンケートでは、29の全自治体が、他の自治体と災害時協定を締結しているものの、締結先が近隣自治体や都内だけに限られているケースもあったということでした。首都直下地震のような大規模な災害では「共倒れ」の恐れもある、と論評がつけられています。
また、都の防災計画が、「3日目以降は都外から支援物資が届く」という前提のもと、震災発生から2日間について、各区市町村と都の備蓄だけで乗り切るという想定になっていることについて、記事は「首都圏では、最大約70か所で橋が落下するなどの被害が出るとみられる。わずか3日間で道路の障害が取り除かれるのかは未知数だ」と警鐘を鳴らしています。
これまでこのブログで書いてきたように、筆者も全くその通りだと思います。
詳細は別の機会に譲りますが、国が家庭に薦めている食料備蓄の期間は「最低3日」です。3日をやり過ごせば、後は支援物資が届き始めるという前提なのです。
しかし、国も3日分で「十分」だとは言っていません。「最低」は文字通り「最低」なのであり、よほど計画通りにことが運ばない限り、「もっと必要」と思っていた方がいいというのが、このブログの主張です。
そして現実に、中央省庁の業務継続計画であれ、東京の自治体の災害時協定であれ、3日目からの支援物資到達であれ、計画通りに機能しそうにないことを、読売の報道は強く示唆しています。
毎日新聞にも興味深い記事がありました。「静岡県防災用品普及促進協議会」の会長による、備蓄についてのポイント解説です。
この会長さんは、「非加熱の食材を含め計10日分の食料の備蓄が望ましい」と指摘しています。
数字の根拠は示されていないのですが、だいたい、どの防災専門家も震災に対応した食料備蓄の量については「3日分」としているケースが多いと思います。その意味で、「10日」というのはインパクトがあります。
「防災用品普及推進協議会」のホームページを見ても、「最低3日」とあるので、立場を超えた主張なのかも知れません。傾聴すべき言葉だと思います。